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-もしあのタイミングで家にギターがなかったら、音楽のことは忘れていたかも知れない-

シンガーソングライター・杉本ラララ
インタビューVol.1

Text by ノビス内藤 (@nobis2017) Jul 30, 2019

やめようと思うときと、がんばろうと思うときの繰り返しで、なんとかここまでやってこられました

--日々ライブハウスのステージに立ち続けるシンガーソングライター。
そんな彼らは、生来明るい性格で、人前に立つことが好きで、自信に満ちているーそんな風に思っている人も多いのかもしれない。

しかし、実際彼らと1対1で向き合ってみると、意外なほどに謙虚で控えめなことが多い。
ステージの上でキラキラ輝いている彼らの姿とは違い、彼らの日常生活は葛藤に満ちている。


「やめようと思うときと、がんばろうと思うときの繰り返しで、なんとかここまでやってこられました」

--そう語る杉本ラララさんは、淡々とした口調でありながらもユーモアを交えながらリラックスしてインタビューに応じてくれました。
印象的な白い髪と独特のセンスで色づけされた歌詞、疲れた気持ちにスッと入り込んでくる優しい歌声で人気を博す杉本さん。

今回は、そんな杉本さんが抱えている気持ちの葛藤、音楽に対する考え方についてじっくりとお話を伺いました。

YouTube-「狐の嫁入り / 杉本ラララ」


昨年の準備期間から小休止を経て、suocillé本格始動となる今回。カメラ担当の内藤が熱望していたアーティスト「杉本ラララ」さんをゲストにお迎えしました。

終始「緊張しているんです」と話す杉本さんが、音楽活動を始めるようになったきっかけ、そして現在の活動名に落ち着いた経緯についてお話を聞きました。今回も2回に分けてお届けいたします。


杉本ラララ

すぎもと・ららら

1984年9月27日生まれ
山口県下関市出身のシンガーソングライター。

2010年「おつかれーず」のボーカルギターを担当。
フジテレビ系「奇跡体験!アンビリバボー」エンディングテーマ作曲
NHK「釣り万歳」テーマ作曲

2017年 名義を「杉本ラララ」に改名

2018年 路上ライブで投げ銭50万円を達成し、2ndアルバムを制作。
BSフジ「OTOSEN」にてドキュメンタリー特集が組まれる。

人の顔が覚えられない、グループLINEが苦手など、人との関わり方に常に悩みながら、音楽での表現を模索するクリエイター。

とにかく今は、とっても緊張しています。


よろしくお願いします。ぜんぜん緊張しないでください。何言って頂いても、後から全然カットも編集もできますので。


いやいやいや!そういうのが一番緊張します(笑)
これまで何度もインタビューや取材を受けてきたんですが、毎回緊張するんですよね。


僕は杉本さんとちゃんとお話しするのは今日が初めてなんですが、実はすごく寡黙な人、というイメージがあるんです。


全然寡黙じゃないですよ。Twitterとかご覧頂いたらわかるんですが(@sugimotolalala)よくわからないことを頻繁につぶやいています。
ステージ上でも共演者とキスしてみたりとか、表現の幅は広い方だと思っています(笑)


杉本さんは、一言で言うとどんな人なんでしょう?


自分でもよくわからなくなるときがあります。とりあえず今はとっても緊張しています。


一同笑


杉本ラララというのは当然芸名だと思うのですが、そのお名前になったのはなぜですか?


最初は本名の「杉本拓朗」でソロとして活動してたんです。
そのあと「杉本拓朗バンド」を結成して、その頃に「歌スタ」というオーディション番組に出させてもらったんです。
その番組で出会った、Something ELseの今井千尋さんに、「おつかれーず」っていうバンド名を付けてもらったんです。



どうして「おつかれーず」だったんですか?ちょっと「モーニング娘。」的なセンスを感じますが。


時期的には影響を受けてるかもしれませんね(笑)
もちろん僕らがお願いしてつけてもらったんですけど、名付け親の今井さん自身は「Something ELse」ってかっこいい名前つけてるのに、僕たちには「おつかれーず」かいっ!て、ちょっと思いました(笑)
でも、その当時は路上ライブもたくさんやってて、路上で出会う会社帰りの人たちに向けて「おつかれ様」を届けてるみたいだっていうところから「おつかれーず」がいいんじゃないかっていうことになったみたいです。


疲れてる人を癒したりとか、お疲れ様っていう音楽を届ける。そんなバンドが「おつかれーず」だったんですね。


このバンド名、実は「杉本拓朗バンド」のワンマンライブ中に発表したんです。今井さんから封筒を渡されて「これからこの名前でやってくれ」っていわれて。


名前が発表になった瞬間は、会場はどんな雰囲気でしたか?


し〜〜〜ん、ざわざわ〜〜〜ってなりました(笑)


今井さんも罪作りなことをされますね!


なんで「おつかれーず」なんですか!ってちょっと抗議したんですが、笑って誤魔化されちゃいました。
いつも良く面倒を見て頂いていたので、あれも今井さんなりの激励だったんだと理解するようにしています。


名前を聞けば何をやってる人かがわかるようにしよう!って考えた


それで、そこから杉本ラララに至ったのはなぜですか?


その後「おつかれーず」のメンバーが徐々に脱退して、最後は僕一人だけで「おつかれーず」をやってたんです。
一人になって2年ぐらい経った頃に「一人で『おつかれーず』っておかしいな」って気付きまして、実は一回「杉本拓朗」に戻したんですよ。


一人「おつかれーず」は意外と長かったんですね!
そのまま「杉本拓朗」で行こうとは思わなかったんですか?


ちょっと思ったんですが、「拓朗」っていう名前は「吉田拓郎」さんと読みが一緒なので、だいたいいつも漢字を間違えられるんですよ。だから「覚えやすくて、名前を聞けば何をやってる人かがわかるようにしよう!」って考えたら「ラララ」がいいんじゃないかな、って考えついたんです


誰かに相談とかしましたか?


当時一緒にアルバム制作してたハシグチカナデリヤと話して決めました。


その時お酒は入ってましたか?


最終的にはお酒が入った状態で決断しました。

一同(笑)


杉本ラララにするって発表したときのファンのみなさんの反響はすごく大きかったです。
否定的な意見もたくさんあったんですが、1年くらいかけてちょっとずつ浸透していったみたいで、最終的にはみんな納得してくれたと思っています。


字を間違えられることもなく、ファンのみなさんにも受け入れてもらえるなんて、確かにいい名前ですよね!
でも、「ラララ」は噛むでしょう?


今でも結構噛みます。ラララですからね。
周りの人たちも結構噛むので、なんか申し訳ないなぁと思っています(笑)



そうやって何度か活動名を変更されながら、もう10年以上活動をされてきたと思うんですが、そもそも杉本さんが初めてギターを触ったのはいつ頃だったんですか?


多分中高生の時なんですけど、家に親のギターがあったんですよ。当時「ゆず」が物凄く流行してて、クラスメイトとデュオを組んだのが音楽にのめり込むきっかけですかね。


ギターがあったからというだけでは、なかなか行動しないと思うんですけど、ゆず以外に憧れていた人いますか?


やっぱりゆずが一番の憧れでした。どうしてもゆずになりたいって思ったとき、たまたま家にギターがあったっていう感じです。
面倒くさがりなので、もしあのタイミングで家にギターがなかったら、音楽活動はやっていなかったかも知れません。


ギターを始めた頃は路上などで演奏されていたんですか?


その頃はやっていなくて、友達の家で合わせて歌ったりしていました。
人に聞いてもらったのは、高校生の時に、商店街のイベントのステージで友達とやったのが初めてですね。


その時はゆずの曲を?


いえ、oasisをやりました。

一同笑


一緒にやってた子が「オレ、これ弾きたいから杉本くん歌って」という感じで歌うことになっちゃって。
Queenとかもやってましたね。その時はバンド編成だったんですけど、エレキギター、ベース、ドラムに加えて僕はアコースティックギターでした。
アコギ弾きながらボヘミアンラプソディ歌うって、今考えたらすごい事やってますよね。


杉本さんの歌声は本当に唯一無二のもので、小さい頃からアーティストを夢見て練習をかさねてこられたものだとばかり思っていました。

今回の取材で、杉本さんが音楽を始めたきっかけは本当に偶然で、あの時ギターが家になかったら、ひょっとしたらいまは歌っていなかったかも知れない。。。そんなお話には驚きを隠せませんでした。

活動名を何度か変更するなかで、ファンのみなさんとのコミュニケーションにも慣れていって、いまの「杉本ラララ」が形作られた。
そんなエピソードにも、杉本さんの自然な姿勢と、ファンのみなさんがそれを愛する気持ちが伝わってくるようです。

次回は、そんな杉本さんが音楽を作り続ける理由、そしてその信念についてお話を聞いていきます。